えらい基準ってなんだろう
世間で言うところの偉い人っていうのは学歴があり、もちろんお金もある。
地位も名誉もってやつなんだけど。
地位も名誉もある人が偉い人=賢い人かどうかは別で、とても人間的じゃない人も多々。
そしてお金持ちが偉い人なのかというとこれまたここも難しい問題で。
あんなに勉強に明け暮れた弁護士先生もとんでもない人もおられるようだし。
もちろん私など、その競争の枠にも入りませんが、厄介になることはあったり、色んな物を通じて意見を聞くこともあったり・・・・。
全てでは無くても兼ね備えている立派な人も中にはいらっしゃるので、それはそれで尊敬する人ということになる。
最近良く思うのは、いろんな世界を見てきた上で・・・というきっとその世界では特異な人が面白い話をすることが多い。
見識が広がるというのはそういう事を言うのだろう。
学生からすぐにその延長の仕事に就いた人は世間を知っているようでかなり知らない。
それよりいろんなアルバイトなどをしてきた人のほうが崩しが利く。
対応幅が広いということになると思う。
もちろんみんながみんなそうであるわけでは無く、そのとき時に自分の仕事をいかにうまくこなすか・・・という努力をしてきた人だけに当てはまると思うけど。
一つのことにいい加減な人はまぁ総じていい加減なわけで・・・というところのいい加減は良い加減では無く、適当・・・でも無く、すれすれ合格点取れるかどうかというラインを示します。
遊びでもなんでも一生懸命になるものがひとつもないというのはかなり問題で、一生懸命になったことのない人はそれだけのものだという気がします。
それだけのもの・・・・もご想像の通り。
バカの一念岩をも通すということわざもある通り、一つのことを追求するというのは大した仕事で、もちろん馬鹿ではないけれど、その道数十年みたいな人に支えられている日本の技術だったりもします。
日本はあんなすごい技術を持ったパートの女性とかでも、もっと大切にするべきじゃないのかな?
自分では意識してないけど素晴らしい技術を持っている一般人が沢山居ると思う。
日本人の気質なんだろうけど、与えられた仕事はきちんとこなすのは当たり前。
言われたことより少し上を行くくらいじゃないと・・・・。
という向上心。
こういうのがある人が本当は偉い人なんだろうとおもうんだけど。
小さな世界で威張ってる人もいりゃあ、大きな世界ですごいのに、小さな世界ではその辺に居る主婦・・・みたいな人も五万といる。
近いうちに根絶やしにされそうな位置で頑張ってる。
威張り散らす人は偉いと言われたいんだろうけど、実は偉くなかったりもする。
偉い人は怒鳴り散らさなくても周りが察して動く人だと思う。
人徳・・・ってやつ。
いかんせん、正直者はバカを見る世の中なので、なぜか威張りちらす人のところがお金は好きらしい。
うまくいかないね~
清貧って言葉は美しいけど、生きるのは辛い。
うちの一族は揃いも揃って商売人にはなれないらしい。
お金にとんと縁のない一族なのである。
私から見るとひいおじいちゃんが子供の頃のおばあちゃんに、もしも先々お父さんが居なくなって、お金に困ったら井戸の中を見なさい。
って言い残したのに、いざ井戸の中を見たおばあちゃんは、なんて綺麗な井戸かしら・・・いつも・・・・と、親心には気づかず、そのまんま家を手放してしまった。
綺麗な井戸が普通だと思っていたところに問題もあるけど、そんなぼんやりしている自分の娘に、暗号みたいに言い残したのがいけない。
家は鉱脈の上にあって、井戸の中は緑色に輝いていたそうです。
あ~~~~~その頃私が居たら!とか何度思ったでしょう。
その後、買い取った人は・・・・もちろん。
大金持ちになりましたとさ。
お嬢さん育ちのおばあちゃんはその後色々大変な人生を送りました。
ほんとにね・・・・・。
なんで私の代までお金残ってなかったんだろうね。
女中さんが子供一人ひとりに数人付いてたらしいけど、そこまでじゃなくても、とりあえず食うものに困らない程度、残してくれたら良かったのにね~(棒読み)
こんな話が母方にも父方にも転がりまくってる我が家。
そんなに試練を与えたいのかな?ご先祖。
あなた達の子孫はその試練に押しつぶされてますよ~とお伝えしたい。
身体のえらい(しんどい)人になってしまった私でした。